――武蔵

山内上杉顕定、扇谷上杉朝良を河越城に降し、両上杉の抗争に終止符を打つ

合戦

前年の立河原の戦いに敗れ、武蔵鉢形城に退いていた山内上杉顕定は、実家である越後守護上杉家からの来援を得て、扇谷上杉朝良の居城・河越城を包囲。朝良は和を請い、江戸城に退き隠居。二十余年に及ぶ両上杉家の抗争が終了した。

扇谷上杉方は、家老・曽我兄弟が講和の使者となり、朝良の江戸城隠居を条件に和睦が成立。扇谷上杉氏の家督は、上杉朝寧の子で朝良の甥の上杉朝興が継承。山内上杉氏方に付いていた太田道灌(太田資長)の子・太田資康も、扇谷上杉氏に復帰し、武蔵江戸城に戻り、朝興に仕える事となった。但し太田資康は明応7年(1498年)生害説もあり(赤城神社年代記録)。

山内上杉軍 扇谷上杉軍
指揮官
  • 山内上杉顕定
  • 長尾能景
  • 扇谷上杉朝良
兵力
不詳 不詳
損害
不詳 降伏開城
参戦武将
不詳
  • 曽我兄弟
  • 参戦
  • 重傷
  • 討死
  • 寝返
北条記赤城神社年代記録クロニック戦国全史関東戦国史(全)戦国大名閨閥辞典 第一巻