――相模

伊勢宗瑞、三浦氏残党を帰服させ、三浦三崎城を再興する

事件
三浦義同三浦義意父子の滅亡後も、その残党は城ヶ島に拠って抵抗を続け、伊勢宗瑞(北条早雲)はこれを討伐せんとしたが、鎌倉建長寺・円覚寺の両長老の仲介により、三浦遺臣は伊勢氏に帰服した。

三浦氏残党は当初「船を悉く城ヶ島に差置き、三浦近辺の浦々へ働き、狼藉数度に及ぶ」状態であったが、帰服した事により「三崎の城を再興し、道寸が勢共を所々より召出して、此城の在番せしめ、横井越前守(横井神助)を大将として、小林平左衛門を始め、究竟の与力三十騎、手勢八十騎、亀崎・鈴木・下里・三富・出口五郎左衛門(出口茂忠)を先として、三浦組十騎、其外雑兵二百余人、此城に差置かる」事となった。

後に三崎十人衆として小田原衆所領役帳に記されたのは、この時の三浦遺臣の後裔という。

北条五代実記北条五代記関東戦国史(全)戦国大名里見氏