――下総

足利義明が下総小弓城に入り、小弓御所と称される

事件

兄の古河公方・足利高基と対立して各地で衝突していた足利義明は、この年前半頃に下総小弓城へ座を移して本拠とした。以後、小弓御所・小弓上様(小弓公方)と称される。

義明様小弓城ニ御移リ、房州里見・常陸鹿嶋・武州ノ小府ノ佐々木以下、悉奉随之、御家風掩東国快元僧都記

近国ノ兵ドモ、吾モ々々ト群来テ付随、義明血気不双ノ人ナリケレバ、味方ノ大勢ニ侈リ、頓テ八ヶ国ヲ討取、古河ノ公方ヲ配流シ奉リテ、鎌倉ニ御所ヲ立、関東ノ公方ニナルベキ事、案ノ内ニアリト思ヒ企ケレドモ、皆可然トゾスゝメケル、古河ノ御所ノ御味方ノ人々、中々不安ゾ思ヒケル、小田原ノ氏綱モ、古河ノ御所ノ舅ナレバ、内々口惜思ハレケレドモ、大敵ノ上杉ト敵対ノ比ナレバ、先々小弓殿トハ無事ノ体ニテ、互ニ使者ニ及ビ、折々ノ捧物ナド有ケルトナリ、是モ暫時ノ智謀ナリ関東兵乱記(「相州兵乱記」巻第三・小弓御所発向之事)

小弓公方となった足利義明には(義明を奉じた真里谷信清の他に)安房の里見上野入道(里見義通)を始め常陸の鹿島氏(鹿嶋氏)や武蔵小府(菖蒲)の佐々木氏などが与同、その勢いは大いに高まったという。

またこの年2月に足利高基嫡男・足利晴氏と娘の婚約を取り付けていた伊勢氏綱(北条氏綱)も、一時は義明方とも結ぶ事となったとみられる。

快元僧都記関東兵乱記(「相州兵乱記」巻第三・小弓御所発向之事)関東戦国史(全)