武蔵へ進出していた北条氏綱は、扇谷上杉朝興と武蔵高縄原で衝突し扇谷上杉軍を破った。朝興は江戸城に戻り籠城するが、夜には城を退去し河越城へ退く。
大永四年正月十三日、上杉ノ家老太田源六郎・同源三郎叛逆シテ、北条左京太夫氏綱ニ内通ス、コレニヨリテ、氏綱時刻ヲ移サス、武州江戸城ヘ押ヨス、城主朝興、品川迄出張、氏綱カ先陣ト、上杉カ先勢曽我神四郎某、高縄原ニテ行向ヒ相戦フ、氏綱カ二陣馳付テ、二手ニ分レテ急ニ撃ントス、朝興戦負テ、江戸城ニ引籠ル、氏綱進テ是ヲ囲ム、朝興叶ハスシテ、夜ニ入、城ヲ退去シテ、同国川越ノ城ヘ入ル、翌日氏綱板橋辺マテ、兵ヲ遣シテ是ヲ追ハシム、其後武州住人毛呂太郎・岡本将監等、氏綱ニ属ス、江戸城ヲハ遠山四郎右衛門ニ守ラシム鎌倉九代後記
武蔵品川へ進出した北条氏綱に対して、扇谷上杉方の江戸城将・太田資高らが内応。氏綱は即刻江戸城攻撃に移り、これを迎え撃つ上杉朝興の軍と武蔵高縄原で合戦となった。氏綱はこの戦いで朝興軍を破り、敗れた朝興は江戸城に退いて籠城の構えを見せるが、その日の夜には江戸城を退去した。
江戸城を攻略した北条氏綱は、江戸城代に遠山直景(遠山四郎右衛門)を配置。一方の朝興は武蔵河越城に入った。
北条軍 | 扇谷上杉軍(城方) |
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指揮官 | |
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兵力 | |
不詳 | 不詳 |
損害 | |
不詳 | 武蔵江戸城陥落 |
参戦武将 | |
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- 参戦
- 重傷
- 討死
- 寝返