扇谷・山内両上杉氏と結んで北条氏綱に対抗する里見義豊は、両上杉氏からの求めに応じて軍船数百艘を催して相模鎌倉へ押し渡り、鎌倉市中や鶴岡八幡宮への濫妨狼藉を行った。
義豊は叔父・里見実堯や上総土気の酒井定治らを率いて鎌倉へ乱入。「寺社ヘ乱入シテ神宝ヲウハヒ取、仏閣ヲ破リ、鶴岡ノ宝蔵ヲモ破却ス」という狼藉を働いた。
これを聞いた北条氏綱は憤激。「殊ニ里見ハ源氏ニテ八幡宮ノ氏人ナリ、礼ヲ存ゼバ寄進ヲコソシ奉ルベキニ、神罰ヲモ顧ミズ、カゝルタメシ前代未聞ノ悪逆ナリ、カゝル放逸ナル凡下ノヤツバラ、一々ニ召取テ後代ノ悪習ヲコラシメヨ」として応戦のため直ちに鎌倉へ向かった。
氏綱方は鎌倉を四方から囲んで攻め、里見左近大夫(鳥山時貞?)を討ち取り里見勢を撃退した。里見軍は早々に船に引き退いたという。
北条軍 | 里見軍 |
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指揮官 | |
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兵力 | |
不詳 | 船数百艘 |
損害 | |
鎌倉市中、鶴岡八幡宮破壊 | 不詳 |
参戦武将 | |
不詳 |
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- 参戦
- 重傷
- 討死
- 寝返