古河公方・足利高基の重臣である簗田高助の臣、鮎川美濃守と鮎川豊後守が、高基から先頃の下総名都借城攻撃の戦功を賞され、感状を賜った。
二人はこの後、1529年(享禄2年)にも同じく名都借城攻撃で感状を与えられており、城は落ちずにこの後も戦いが続いたと見える。
鮎川文書関東戦国史(全)The Chronology of Japanese Sengoku period.
古河公方・足利高基の重臣である簗田高助の臣、鮎川美濃守と鮎川豊後守が、高基から先頃の下総名都借城攻撃の戦功を賞され、感状を賜った。
二人はこの後、1529年(享禄2年)にも同じく名都借城攻撃で感状を与えられており、城は落ちずにこの後も戦いが続いたと見える。
鮎川文書関東戦国史(全)