――関東

北条氏綱、足利義明と和議を結び、真里谷氏の内紛が終息する

外交

里見氏の離反を受けて劣勢となった北条氏綱は、足利義明方との和議を模索。鎌倉東慶寺の塔頭・蔭涼軒の長老を通して講和交渉を行った結果、この日に和議がまとまった。

「上総嶺上、房州百首城兵新地之者共、御免之由」を足利義明が表明し、真里谷信隆方として上総へ派遣されていた北条家臣・金谷斎(大藤信基?)の帰国が認められ、上総峯上城には真里谷信応の後見人・真里谷全芳(真里谷武田大学頭入道、真里谷信勝)が入城。

また里見義堯の「取成」によって正木氏の一族で北条氏の臣でもある正木兵部大輔が上総天羽郡の支配に関与する事となり、「峯上証人衆」として吉田和泉守武信濃守郷沢美濃守飯森三郎左衛門尉三平主税助らが相模に知行地を与えられた。

この結果、真里谷氏の内紛は真里谷信応の勝利で終わり、敗れた真里谷信隆は上総を退去。北条氏を頼り、武蔵金沢に寓居する事となった。

戦国大名里見氏関東戦国史(全)