武蔵河越城を奪取した北条氏綱は、武蔵松山城で河越城奪回の準備が進められていると聞き、大軍を率いて松山城へ侵攻。松山城下の戦いで扇谷上杉方と戦い、これを撃破した。
河越城を退いた扇谷上杉朝定は松山城へ入り、ここで陣容を立て直して河越城奪回を目論んでいた。だがこれを聞いた北条氏綱は、先手を打って大軍を率い松山城を攻撃。
この戦いで北条軍は「敵三百余人滅亡」「難波田弾正入道善銀、甥同名隼人、佐々木并子息三人打死」させるなど、扇谷上杉軍を撃破し、町屋近辺を放火して河越城へ引き返した。
難波田弾正父子については、後年の河越夜戦で父子討死ともされており、この戦いでは戦死していないと思われる。
北条軍 | 扇谷上杉軍 |
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指揮官 | |
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兵力 | |
不詳 | 不詳 |
損害 | |
不詳 | 三百人滅亡 |
参戦武将 | |
不詳 |
- 参戦
- 重傷
- 討死
- 寝返