――下総

第一次国府台合戦――北条氏綱と小弓公方足利義明・里見義堯が下総国府台で戦い、足利義明戦死す

国府台城址
国府台城址 Credit: by Monado.
合戦

下総国府台で北条氏綱率いる北条軍と、小弓公方・足利義明里見義堯真里谷信応の連合軍が戦い、北条軍が勝利した。

国府台には小弓公方方が布陣。これに対して江戸城から進発した北条軍は、太日川(江戸川)を渡り国府台北方の「松どのたいといふ山」に先陣清水、狩野、笠原、遠山(遠山綱景)、伊東(伊東右馬允?)の軍勢が進出。小弓公方方の小弓衆(足利義明軍)は北上して迎撃した。

下総国相模台御合戦大弓上意、御父子基頼御三人始メ申千余人之打死也、天文七年十月七日申酉二時之御一戦也本土寺過去帳

この戦いで足利義明の嫡男・足利義純、弟の足利基頼が戦死。さらに総大将の足利義明も、北条方の三浦城代・横井神助(横井越前守か)に射落とされ、松田弥次郎に首を取られた。また義明の重臣・逸見祥仙(逸見山城入道)は北条方の三浦郡代官・山中修理亮に討たれたほか「討死百四十余人」「上総人数数百人滅亡」「千余人之打死也」という。

小弓勢の壊滅により、里見義堯や酒井定治を始めとした上総・安房の軍勢は、早々に合戦を見限り戦わずして戦場を離脱。遺された小弓公方の臣らは戦場を逃れて小弓に戻り、城を焼き払って安房へ落ち行き里見氏を頼った。落ち行く途中、町野十郎は「けき川」という所で追い腹を切って義明に殉じたという。

かくして小弓公方は滅亡した。

北条軍 小弓公方連合軍
指揮官
  • 北条氏綱
  • 足利義明
  • 里見義堯
  • 真里谷信応
兵力
武相豆軍兵五千余騎 両総房士卒具足一千余衆
損害
不詳 討死百四十余人、上総人数数百人滅亡、千余人之打死
参戦武将
北条軍
  • 北条氏康
  • 清水
  • 狩野
  • 笠原
  • 遠山綱景
  • 伊東(伊東右馬允?)
  • 横井神助(横井越前守?)
  • 松田弥次郎
  • 山中修理亮
  • 徳陰斎(渋江弾正左衛門尉
千葉軍
足利義明軍
里見軍
真里谷軍
その他
  • 酒井定治
  • 参戦
  • 重傷
  • 討死
  • 寝返
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