1573年(元亀4年/天正元年)
・・・山城◆ 織田信長、将軍・義昭方の山城石山城を攻略する
・・・近江◆ 明智光秀、将軍・義昭に与する近江今堅田を攻略する
・・・京都◆ 織田軍、洛北賀茂に陣を布き幕府方と対峙す
・・・近江◆ 柴田勝定、佐久間勝政が琵琶湖沖島に礼銭を徴す
・・・京都◆ 摂津芥川氏、京都下京より礼銭を受け取る
・・・山城◆ 織田信長、山城槙島城に足利義昭を攻める
・・・丹波◆ 足利義昭、丹波の赤井直正に幕府再興の助力を求める
・・・山城◆ 織田家臣・明智光秀、山城静原山城に山本対馬守を攻める
・・・近江◆ 織田軍、近江高島郡の木戸・田中城を攻略する
・・・越前◆ 赤座小法師、織田信長に本領を安堵される
・・・越前◆ 織田信長、越前に朝倉氏を攻める
・・・安房◆ 安房の丸景明の内室が没する
・・・越前◆ 織田氏、越前織田大明神社(織田剣神社)の社領を安堵する
・・・越前◆ 織田氏の臣・滝川一益ら、越前国内で諸役免除や安堵状の発給を行う
・・・伊勢◆ 織田信長、伊勢長島一向一揆討伐に出陣する
・・・山城◆ 織田家臣・明智光秀、山城静原山城を攻める
・・・京都◆ 織田氏、実相院門跡に所領を安堵する
・・・京都◆ 織田氏、西院の小作に妙智院への納入を命じる

足利義昭、山城・丹波などの諸氏を動員し織田氏に抵抗する
―山城◆
足利義昭は山城・丹波などの豪族を動員して織田信長に対抗の意思を示した。山城北部の磯谷久次・山本対馬守・渡辺宮内少輔らは、これに応じて寄親の明智光秀から離反し挙兵した。

織田信長、将軍・義昭方の山城石山城を攻略する
―山城◆
織田信長は将軍・足利義昭と遂に衝突に至り、義昭側近の光浄院暹慶(山岡景友)の守る山城石山城を攻略した。

明智光秀、将軍・義昭に与する近江今堅田を攻略する
―近江◆
明智光秀は、将軍・足利義昭に与する近江今堅田に対し、海上から囲舟で攻撃し、これを陥した。

織田軍、洛北賀茂に陣を布き幕府方と対峙す
―京都◆
織田軍は洛北・賀茂に陣を布き、幕府方と対峙した。翌月2日には賀茂界隈を放火している。

柴田勝定、佐久間勝政が琵琶湖沖島に礼銭を徴す
―近江◆
柴田勝家の臣・柴田勝定、同・佐久間勝政が、琵琶湖沖島に礼銭を徴した。

摂津芥川氏、京都下京より礼銭を受け取る
―京都◆
三好氏麾下の摂津芥川氏は、下京より礼銭として八十六匁を受け取った。

織田信長、山城槙島城に足利義昭を攻める
―山城◆
詳細後日

足利義昭、丹波の赤井直正に幕府再興の助力を求める
―丹波◆
織田信長に敗れて西国へ落ち延び、毛利氏に寄寓する身となった将軍・足利義昭は、丹波黒井城主・赤井忠家の叔父である赤井直正に、幕府再興の助力を求めている。

織田家臣・明智光秀、山城静原山城に山本対馬守を攻める
―山城◆
織田家臣の明智光秀は、足利義昭に応じて挙兵していた山本対馬守を静原山に攻撃した。

織田軍、近江高島郡の木戸・田中城を攻略する
―近江◆
足利義昭を降した織田信長は、岐阜へ帰還する途上、義昭方の近江高島郡木戸城・田中城を攻撃し、これを攻略した。