1574年(天正2年)

松永久秀、大和多聞山城を織田家に明け渡す
―大和◆
松永久秀は大和多聞山城を立ち退き、織田信長に献じた。多聞山城には城番として明智光秀が入城している。城番は一月交代で、翌月には長岡藤孝(細川藤孝)が務めている。

原胤栄、臼井城内の妙見堂に金灯炉を寄進する
―下総◆
千葉氏家臣の[w]原胤栄[/w]が、下総臼井城内の妙見堂に金灯炉を寄進した。金灯炉の銘には「奉寄進下総国臼井本城妙見堂金灯炉者也、原式部大夫平胤栄敬白」と記されている。この頃には、原氏は本拠を下総小弓城から本格的に臼井城に移したと見られる。

下総小金城主・高城胤辰、富士参詣道者の通行の安全を城下に命じる
―下総◆
北条家他国衆の下総小金城主・高城胤辰は、玉縄城主・北条氏繁からの指示により、小金領改衆(関所役人)に対し、富士参詣道者の通行の安全を命じている。

臼井久胤、常陸下館で没する
―常陸◆
元下総臼井城主であった臼井久胤が、常陸下館で没した。享年32。久胤は幼くして臼井城主となったが、母方の祖父の原胤貞によって臼井城主の地位を奪われ、これに憤り出奔。下総結城氏を頼っていた。

織田信長、伊勢長島の一向一揆を攻める
―伊勢◆
詳細後日 長島一向一揆 織田軍 指揮官 願証寺証恵 織田信長 兵力 不詳 不詳 損害 不詳 不詳 参戦武将 未詳 参戦 重傷 討死 寝返

北条氏、簗田晴助父子の籠もる関宿城を開城せしむ
―下総◆
北条氏は古河公方家の反北条勢力の中心である簗田晴助・簗田持助父子の籠もる関宿城を開城させた。開城に際しては佐竹義重の斡旋があったと言われる。簗田父子は関宿城退去後、下総水海城へ移り、古河公方家中は完全に北条氏に制圧された。

織田氏、賀茂社に社領を安堵する
―京都◆
織田氏の臣の村井貞勝・明智光秀は、賀茂神社の社領を安堵した。