1579年(天正7年)
・・・下総◆ 足利義氏、里見梅王丸母子に年始の御礼を贈る
・・・武蔵◆ 北条氏、遠山政景・高城胤辰に葛西堤の普請を命じる
・・・近江◆ 織田家臣・青地与右衛門、駿馬を調教して信長に賞される
・・・下総◆ 原胤栄、下総中山法華経寺の寺領等に関する定書を出す
・・・摂津◆ 織田信長、摂津伊丹城在番衆に鶴・鷹を下賜する
・・・美濃◆ 織田信忠、信長馬廻の井戸将元を誅殺する
・・・丹波◆ 織田家臣・明智光秀、赤井氏の黒井城を攻略する
・・・丹波◆ 明智光秀、赤井忠家の探索と成敗を命じる
・・・伊賀◆ 北畠信雄、伊賀へ侵攻するも敗れる
・・・丹波◆ 長岡藤孝、赤井氏残党の拠る丹波国領城を攻略する
・・・摂津◆ 高山飛騨守、高槻城から越前へ連行される
・・・備中◆ 赤木忠房、毛利方に転じて備中高松城の守備に加わる

赤松広秀、織田信長に毛利氏との戦いの功を褒される
―播磨◆
播磨龍野城主の赤松広秀(斎村政広)は、毛利氏との戦いの功を織田信長に褒された。

足利義氏、里見梅王丸母子に年始の御礼を贈る
―下総◆
北条氏のもとで古河にあった足利義氏が、「さぬき」に対する年始の御礼として太刀・絵・扇などを贈る。「さぬき」とは当時上総佐貫城にあった里見梅王丸(里見義重)とその生母と見られている。

北条氏、遠山政景・高城胤辰に葛西堤の普請を命じる
―武蔵◆
北条氏は江戸衆の遠山政景(遠山甲斐守)、他国衆の下総小金城主・高城胤辰らに、葛西堤の普請を命じた。葛西堤は大日川(江戸川)の堤防と思われる。

織田家臣・青地与右衛門、駿馬を調教して信長に賞される
―近江◆
織田家臣の青地与右衛門は、常陸の多賀谷重経から贈られた駿馬を調教して織田信長から賞された。

原胤栄、下総中山法華経寺の寺領等に関する定書を出す
―下総◆
下総千葉氏の臣で北条氏の他国衆の臼井城主・原胤栄が、下総中山法華経寺に対し、寺領等に関する定書を出した。

織田信長、摂津伊丹城在番衆に鶴・鷹を下賜する
―摂津◆
織田信長は摂津伊丹城の在番衆に向けて、鶴・鷹を下賜した。使者は信長の近臣・青山与三。

織田信忠、信長馬廻の井戸将元を誅殺する
―美濃◆
織田信忠は赤座紹意(赤座七郎右衛門)、前田玄以を遣わし、井戸将元を誅殺した。

織田家臣・明智光秀、赤井氏の黒井城を攻略する
―丹波◆
織田信長の臣・明智光秀が、赤井氏の居城・黒井城を攻略した。

明智光秀、赤井忠家の探索と成敗を命じる
―丹波◆
丹波黒井城を攻略した明智光秀は、落城に際して城を脱出した城主・赤井忠家の探索と成敗を命じた。

北畠信雄、伊賀へ侵攻するも敗れる
―伊賀◆
詳細後日