1582年(天正10年)
・・・下総◆ 千葉家臣・原胤長、所領の守護不入を認められる
・・・信濃◆ 織田信忠、信濃高遠城を落とす
・・・信濃◆ 織田信忠、武田勝頼の首級を父・信長に届ける
・・・甲斐◆ 織田信忠、甲斐恵林寺を焼き討ちする
・・・備中◆ 織田家臣・羽柴秀吉、備中高松城を攻める
・・・下総◆ 千葉家臣・原親幹、国分兵部大輔と戦い、押領されていた所領を奪還する
・・・京都◆ 本能寺の変――明智光秀、京都本能寺に織田信長を討つ
・・・京都◆ 明智光秀、京都二条御所に織田信忠らを討つ
・・・下総◆ 原胤栄、下総印西庄の円天寺に守護不入などを定める
・・・近江◆ 明智秀満、坂本城で光秀の妻子を殺害して自害する
・・・伊賀◆ 織田信雄、伊賀へ侵攻して一揆を鎮圧する
・・・甲斐◆ 北条氏直、甲斐若神子に陣を張り徳川家康と対峙す
・・・堺◆ 津田宗及、茶会を催す
・・・下総◆ 高城胤則、下総高城氏の家督継承を北条氏に認められる
・・・下総◆ 下総小金城主・高城胤辰没す

武田家臣・木曽義昌、織田信長に降る
―信濃◆
武田家の家臣で縁戚の木曽義昌が織田信長に降った。義昌の武田氏離反により、信長は甲州討伐を決断する。

千葉家臣・原胤長、所領の守護不入を認められる
―下総◆
千葉氏の家臣で、当主・邦胤側近の原胤長が、所領の「印西外郷」について、守護不入を認められる。

織田信忠、信濃高遠城を落とす
―信濃◆
武田氏攻略の任に当たっていた織田信忠が、武田方の仁科盛信の守る信濃高遠城を激戦の末攻略した。

織田信忠、武田勝頼の首級を父・信長に届ける
―信濃◆
甲州征伐で甲斐へ侵攻し、武田氏を滅ぼした織田信忠は、武田勝頼の首級を父・織田信長の元へ届けた。使者は桑原介六(桑原助六郎・赤座助六郎)が務めた。

織田信忠、甲斐恵林寺を焼き討ちする
―甲斐◆
詳細後日

織田家臣・羽柴秀吉、備中高松城を攻める
―備中◆
詳細後日

千葉家臣・原親幹、国分兵部大輔と戦い、押領されていた所領を奪還する
―下総◆
千葉氏の臣で下総森山城将の原親幹が手勢を率いて、この前年に国分兵部大輔により押領されていた千葉氏の下総東部の所領を奪還した。千葉邦胤は親幹の功績に対して、奪還された所領の一部を「永領之給分」として宛がうという。

本能寺の変――明智光秀、京都本能寺に織田信長を討つ
―京都◆
詳細後日

明智光秀、京都二条御所に織田信忠らを討つ
―京都◆
詳細後日

原胤栄、下総印西庄の円天寺に守護不入などを定める
―下総◆
下総臼井城主・原胤栄が、下総印西庄の円天寺に対して、「山田・平賀両地之百姓等」が寄進した「寺家屋敷・山野之在所」のうち、御門前の守護不入を定めると共に、寺領の儀は粗略に扱わない旨を約している。