1583年(天正11年)

古河公方・足利義氏没す
―下総◆
古河公方の足利義氏が没した。 なお、関東では前年の天正10年に閏12月を設けたため、関東と上方では没年月日が異なる(関東表記では天正10年閏12月20日没)。記事の表記は上方に拠る。

賤ヶ岳の戦い――羽柴秀吉、柴田勝家を破る
―近江◆
詳細後日

里見義弘後室・松雲院殿が没する
―上総◆
里見義弘の後室・松雲院殿が没する。法名・松雲院殿花馨彭英大禅定尼。里見梅王丸(里見淳泰)の生母で、足利晴氏の娘とも言われる(延命寺里見系図)。

原胤栄、上総東金の鋳物師・鵜沢刑部少輔に対し、臼井領内での活動を認める
―上総◆
下総臼井城主・原胤栄が、上総東金の鋳物師・鵜沢刑部少輔に対して、臼井領内での「鋳物師大工職之事」の活動を認める証状を与えている。

北条氏照家臣・布施景尊、会田氏に掃部助の官途を与える
―下総◆
北条氏照の家臣で下総栗橋城代の布施景尊(布施美作守)が、同じく氏照家臣で関宿周辺に所領を持つ会田氏に対し、掃部助の官途を与えた。主君・氏照の代理と思われる。

千葉邦胤嫡男・千葉重胤生まれる
―下総◆
下総本佐倉城主・千葉邦胤の嫡男・亀王丸(後の千葉重胤)が、上野新田庄の岩松守純の娘を母として生まれた。出生地は詳らかではない。