1585年(天正13年)
・・・下総◆ 千葉家臣・原胤安の室・松室妙椿が没する
・・・下総◆ 千葉邦胤、家臣・一鍬田孫五郎により殺害される
・・・播磨◆ 斎村政広、四国への渡海を命じられる
・・・下総◆ 下総弥富原氏の原出雲守が没する
・・・下総◆ 北条氏政、千葉氏重臣・原親幹に書状を送り立場を質す
・・・下総◆ 原胤栄家中の原越前守、臼井浄行寺に寄進を行う
・・・但馬◆ 斎村政広、但馬竹田へ転封となる
・・・上野◆ 北条氏直、千葉家臣・原胤長父子に、下総佐倉表への出馬について書状を送る
・・・相模◆ 北条氏直、下総佐倉へ出馬する事を告げ、諸将に参陣を申し付ける
・・・相模◆ 北条氏直、下総佐倉へ向けて小田原を発つ
・・・下総◆ 原親幹、北条氏に屈服、出家して誓詞を提出する
・・・相模◆ 北条氏政、原親幹に書状を送って忠節を促す
・・・下総◆ 北条氏直、下総佐倉西方の鹿島台に鹿島城を完成させる

千葉邦胤、下総森山城将・原邦房らへ軍備などについて朱印状を発給する
―下総◆
下総本佐倉城主・千葉邦胤が、同国森山城将の原邦房(原大炊助)・安藤備中守・石毛金右衛門尉へ宛て、軍備及び喧嘩口論についての条々を記した朱印状を発給する。

千葉家臣・原胤安の室・松室妙椿が没する
―下総◆
千葉氏の臣・原胤安の室で、原胤長の生母が没した。法名・松室妙椿。

千葉邦胤、家臣・一鍬田孫五郎により殺害される
―下総◆
下総千葉氏の当主・千葉邦胤が、家臣・一鍬田孫五郎により居城の本佐倉城内で殺害された。享年29。

斎村政広、四国への渡海を命じられる
―播磨◆
播磨龍野城主・斎村政広は、羽柴秀吉から四国への渡海を命じられた。

下総弥富原氏の原出雲守が没する
―下総◆
下総千葉氏の臣で、臼井城主・原氏の庶流である弥富原氏の原出雲守(原朗曉)が没する。

北条氏政、千葉氏重臣・原親幹に書状を送り立場を質す
―下総◆
北条氏政は千葉氏重臣・原親幹に書状を送り、千葉邦胤横死後の千葉家の後継者問題に対して反北条路線を主張する重臣・原親幹に圧力をかけている。

原胤栄家中の原越前守、臼井浄行寺に寄進を行う
―下総◆
下総臼井城主・原胤栄の家臣で一族と見られる原越前守が、臼井城近くの浄行寺に対して寄進を行った。同寺の日蓮像台座裏書銘に「原越前守納之」と書かれている。

斎村政広、但馬竹田へ転封となる
―但馬◆
播磨龍野城主の斎村政広は、但馬竹田城へ転封されたという。

北条氏直、千葉家臣・原胤長父子に、下総佐倉表への出馬について書状を送る
―上野◆
徳川家康の信濃上田攻めに呼応して、真田昌幸の上野沼田城攻めの途上にあった北条氏直は、千葉邦胤横死後の家督問題に揺れる千葉家の重臣の原胤長・原邦長父子に書状を送り、上野での戦いが終わった後には、下総佐倉表へ出馬する旨を伝えている。

北条氏直、下総佐倉へ出馬する事を告げ、諸将に参陣を申し付ける
―相模◆
同年の千葉邦胤の横死以後の下総千葉家の後継者問題に対し、北条氏直は、翌月10日に自ら下総佐倉への出馬を決め、諸将に参陣を申し付けた。下総松戸への着陣を命じられたのは、上野国衆の小幡縫殿助、一門の北条氏邦ら。