1589年(天正17年)

高城胤則、下総中山法華経寺との不入争論に敗れる
―下総◆
北条家臣で下総小金城主・高城胤則と、下総中山法華経寺の間で不入を巡る争論が起こり、この日の北条氏の裁定で中山法華経寺側が勝利した。

北条直重、正式に下総千葉氏の家督を相続する
―下総◆
北条氏政の子・直重が、この日正式に下総千葉氏の家督を相続、千葉直重となった。

北条氏、千葉妙見宮別当の神領訴訟を裁定し、妙見宮側の訴えを退ける
―相模◆
千葉妙見宮別当は、千葉家中・三谷胤重領について妙見神領である旨を小田原の北条氏に訴え、この日裁定が下された。

高城胤則、下総六所神社・船橋大神宮に棟別銭を課す
―下総◆
北条氏の臣・下総小金城主・高城胤則は、北条氏の命を受け、下総六所神社と船橋大神宮に対し、棟別銭を賦課した。京勢(豊臣家)との戦いへの備えと見られる。

里見義康、上総百首港に江戸湾往来の船を寄港させるよう朱印状を発給する
―上総◆
房総の里見義康はこの日、検査のため江戸湾を往来する船を上総百首港に寄港させるよう朱印状を発給した。

下総臼井城主・原胤栄没す
―下総◆
下総千葉氏の重臣で北条氏の他国衆でもあった下総臼井城主の原胤栄が没した。享年39。法名「弘岳太宗居士」。子・吉丸(後に原左五右衛門)が幼少であったため、一族の原邦房が臼井城代を務めている。

羽柴秀吉、津軽為信(南部右京亮)に朱印状を与える
―大坂◆
羽柴秀吉(豊臣秀吉)は、津軽為信(南部右京亮)からの黄鷹献上に対する謝辞の朱印状を送った。