1598年(慶長3年)

小西行長・寺沢正成、明との講和交渉を始める
―朝鮮◆
小西行長・寺沢正成(寺沢広高)は、明の呉宗道・李大諫らと講和交渉を開始した。この交渉は加藤清正の行っている講和交渉とは別のもので、日本側の内部対立を反映している。

加藤清正、明軍経理・楊鎬へ講和を要求する
―朝鮮◆
朝鮮出兵中の加藤清正は、朝鮮へ派遣された明軍の現地総指揮官である経理・楊鎬に対し、講和要求の書を送った。

宗義智の臣・柳川調信、朝鮮禮曹に講和書を送る
―朝鮮◆
対馬の宗義智の臣・柳川調信は、朝鮮禮曹に対して講和書を送った。この講和交渉は、小西行長・寺沢正成(寺沢広高)の進める講和交渉の一環であった。

明臣・丁応泰、明朝廷に楊鎬の通謀を上奏する
―明◆
明の東征賛画主事・丁応泰は、明朝廷に対し、明の朝鮮派遣軍の現地最高指揮官・楊鎬が、朝鮮や日本と通謀しているとの主旨の上奏(誣奏)を行う。

宣祖、明朝廷へ陳奏使として崔天健を派遣し、丁応泰の誣奏に対処する
―朝鮮◆
朝鮮王・宣祖(李昖)は、明臣・丁応泰が明朝廷に誣奏(虚偽の報告)したとの報を受け、明の現地司令官・楊鎬の助言を容れて、明帝・神宗(万暦帝・朱翊鈞)へ使者を立てる事を決め、崔天健を陳奏使に任じて派遣した。