1494年(明応3年)

古今伝授の創始者・東常縁没す
―京都◆
古今伝授の創始者で下総千葉氏の一族の東常縁が没した。享年94。没年は文明16年(1484年)頃との説もある。

下総千田庄の飯篠貞秀、香取新福寺に寺領を寄進する
―下総◆
下総千田庄飯篠の飯篠貞秀(香取修理亮・藤原修理亮)が、現世安穏・子孫繁昌・武運長久・後生善所を祈願して香取新福寺に同庄内井戸山村の地を寄進する。

扇谷上杉家臣で小田原城主の大森氏頼が没す
―相模◆
扇谷上杉氏の臣で相模小田原城主の大森氏頼が没した。家督は子・大森式部少輔(大森藤頼)が相続している。

三浦義同、養父・三浦時高を相模三浦新井城に滅ぼす
―相模◆
相模三浦の新井城主・三浦時高が、養子の三浦義同(扇谷上杉高救の子)に攻められて滅亡した。

扇谷上杉定正、武蔵高見原の陣中で急死する
―武蔵◆
武蔵高見原で山内上杉顕定の軍と対陣していた扇谷上杉定正が、陣中で急死した。享年51。定正死後は、定正の兄・上杉朝昌の子・上杉朝良が扇谷上杉家を継ぎ、引き続き山内上杉氏に対峙した。

越後守護・上杉房定没す
―越後◆
越後守護の上杉房定が没した。家督は子・上杉房能が相続した。房定は山内上杉顕定の実父で、房能は顕定の弟に当たる。

古河公方・足利成氏父子、山内上杉顕定支持に転じる
―下総◆
古河公方・足利成氏・足利政氏父子が、扇谷上杉定正の死を契機として、これまでの扇谷上杉氏支持から一転して、山内上杉顕定支持に転じた。

公卿補任: 明応3年
―京都◆
九条尚経、姉小路基綱、二条尚基、正親町三条実望、滋野井教国、庭田雅行