1497年(明応6年)

少弐政資、大内義興に攻められ多久で自害。政資次男・頼高も討死する
―肥前◆
将軍・足利義材(足利義稙)の上意を受けた大内義興により討伐を受けていた少弐政資が、前日に籠城していた肥前晴氣城を逐われ、この日多久城で自害した。享年57。

少弐高経、大内氏に逐われ肥前で討死する
―肥前◆
少弐政資の長男・少弐高経が、2日前の晴氣城からの脱出の後、大内方に討たれた。享年36。

伊勢宗瑞、伊豆の大見三人衆の忠功を賞す
―伊豆◆
伊勢宗瑞(北条早雲)が、伊豆の大見三人衆の佐藤藤左衛門・梅原六郎左衛門・佐藤七郎右衛門に対し、「今度柏窪一戦刻、忠節無比類」として忠功を賞した。

古河公方・足利成氏が没する
―下総◆
古河公方の足利成氏が没した。享年64。数年前より古河公方の実質的権力は、子の足利政氏との両頭体制になっていたと言われる。

公卿補任: 明応6年
―京都◆
坊城俊名、鷹司兼輔、正親町三条実望、今出川公興、二条尚基、久我豊通、庭田重経、一条冬良、四条隆量、近衛尚通