1501年(明応10年/文亀元年)

伊勢宗瑞、大森氏を逐って小田原城を奪う
―相模◆
伊勢宗瑞(北条早雲)が、扇谷上杉氏から離反し、山内上杉方に転じた大森藤頼(大森式部少輔)の居城・小田原城を奪取した。宗瑞は軍勢を鹿狩りの勢子に仕立てて箱根山中に入れるなど、奇計をもって小田原城を急襲して攻略したという。

伊勢宗瑞、小田原城下の走湯山の寺領を接収し替地を寄進する
―相模◆
小田原城を奪取した伊勢宗瑞(北条早雲)は、小田原城下北東の「相州上千葉之内走湯山分」を接収。替地として伊豆田牛村を寄進した。小田原城周辺地域の防御強化を図ったものと見られる。

伊勢宗瑞、信濃の諏訪氏へ甲斐侵攻の同心を求める
―信濃◆
伊勢宗瑞(北条早雲)が、信濃の諏訪氏(信濃諏訪神社大祝殿)家臣・千野氏に書状を送り、甲斐侵攻に対する同心を求めた。

大内義興追討の綸旨が幕府に下される
―京都◆
前将軍・足利義稙を擁して入京を企てる大内義興に対して、朝廷は追討の綸旨を幕府に下した。

安城松平親忠が没する
―三河◆
安城松平親忠が没した。法名・西忠。安城松平氏の初代とされる。

松平長親、大樹寺に松平一族を集めて事実上の一族惣領の地位を認めさせる
―三河◆
安城松平長親は、父・松平親忠の初七日に、松平一族を三河大樹寺に集め、大樹寺警固の禁制に署名させた。長親はこれにより安城松平氏が一族を統制する事実上の惣領家である事を認めさせたという。

伊勢宗瑞、甲斐へ侵攻する
―甲斐◆
伊勢宗瑞(北条早雲)が甲斐へ侵攻した。

伊勢宗瑞、三河攻めに活躍した家臣の忠功を賞す
―伊豆◆
伊勢宗瑞(北条早雲)は「今度三河国打入之節」に活躍した堀江三郎左衛門に対し、「忠信戦功之由」が今川氏親の耳に入り知行加増された旨を伝える。

古河公方・足利政氏父子、千葉孝胤討伐のため下総篠塚に陣を布く
―下総◆
古河公方・足利政氏と足利高基父子が、上総守護の木内胤治からの讒訴を受けて、下総の千葉孝胤討伐に出陣。下総篠塚に陣を布いた。以後約三年に渡って下総に在陣する。

公卿補任: 文亀元年
―京都◆
鷹司兼輔、木造政宗、中御門宣秀、九条尚経、小倉季種、坊城俊名、庭田重経、山科言国、園基富、西園寺公藤、東坊城和長、三条実香、甘露寺元長、正親町三条実望、田向重治、中院通世、四辻実仲、一条冬良、足利義材(足利義稙)