1502年(文亀2年)

将軍・足利義高、名を義澄と改む
―京都◆
将軍・足利義高が改名し、足利義澄と改める。

南近江守護代・伊庭貞隆、守護・六角高頼に叛くも敗れる
―近江◆
近江半国の守護代・伊庭貞隆が、守護の六角高頼と戦うが敗れ、琵琶湖を渡って敗走した。貞隆は専横の振る舞いが多く、他の内衆の反感を買って讒言に遭ったため兵を挙げたという。

伊庭貞隆、守護六角氏方の近江青地城などを攻略する
―近江◆
前月に守護・六角高頼に叛いて敗れた守護代の伊庭貞隆が再起し、琵琶湖を渡って湖東に兵を進め、青地城、永原城、馬淵城を攻略した。六角高頼は居城の観音寺城から、蒲生貞秀の日野城に逃れている。

公卿補任: 文亀2年
―京都◆
三条西実隆、西園寺公藤、今出川季孝、足利義高(足利義澄)、高倉永康、飛鳥井雅俊、坊城俊名、北畠材親、姉小路基綱、勧修寺経郷