1504年(文亀4年/永正元年)
・・・上総◆ 千葉家臣・原胤隆、上総守護・木内胤治を討つ
・・・越前◆ 朝倉元景、加賀の斯波旧臣を糾合して越前へ侵攻する
・・・遠江◆ 伊勢宗瑞、今川氏領国の遠江尾奈郷に対し、年貢・諸公事を納める命令を出す
・・・武蔵◆ 山内上杉顕定、扇谷上杉朝良の武蔵河越城を攻める
・・・越前◆ 朝倉元景、朝倉貞景が越前長崎へ出陣したため退散する
・・・武蔵◆ 扇谷上杉朝良、武蔵立河原の戦いで山内上杉顕定を破る
・・・武蔵◆ 山内上杉顕定、越後からの援軍を得て河越城を攻める
・・・武蔵◆ 山内上杉顕定、扇谷上杉方の武蔵椚田城を攻略する
・・・相模◆ 山内上杉顕定、相模真田城を攻略し、上田上野守を討つ
・・・京都◆ 公卿補任: 永正元年

下総相馬岡田氏の相馬信胤、田地を本銭返にて売り渡す
下総相馬郡南部の相馬岡田氏の相馬信胤(相馬伊予守・前伊予守)が、田地を本銭返にて四貫文で売り渡した。

千葉家臣・原胤隆、上総守護・木内胤治を討つ
千葉氏の筆頭重臣で小弓城主の原胤隆が、上総府中の守護・木内胤治(小見胤治)を討った。木内胤治は、千葉孝胤を讒訴して、古河公方・足利政氏による千葉氏討伐を招いていた。なお、木内胤治は原胤隆の娘婿であったという。

朝倉元景、加賀の斯波旧臣を糾合して越前へ侵攻する
越前の朝倉貞景に叛いた一族の朝倉元景(朝倉景総)は、加賀にて朝倉氏に敵対する斯波旧臣の甲斐氏、二宮氏らを糾合。越前北部へ侵攻した。

伊勢宗瑞、今川氏領国の遠江尾奈郷に対し、年貢・諸公事を納める命令を出す
伊勢宗瑞(北条早雲)が、今川氏領国の遠江尾奈郷に対して、守護代の奉書に任せて年貢・諸公事を先規の如く知行主へ納めるよう命ずる。

山内上杉顕定、扇谷上杉朝良の武蔵河越城を攻める
山内上杉顕定は、この前日に武蔵国上戸の陣から仙波へ移り、扇谷上杉朝良の河越城攻めを開始した。戦いは9月上旬まで続いている。

朝倉元景、朝倉貞景が越前長崎へ出陣したため退散する
朝倉貞景に叛き、加賀から斯波氏旧臣を率いて越前へ侵攻していた朝倉元景(朝倉景総)は、貞景が越前坂井郡長崎へ出陣したため退散した。

扇谷上杉朝良、武蔵立河原の戦いで山内上杉顕定を破る
山内上杉顕定と対陣を続けていた扇谷上杉朝良が、今川氏親と伊勢宗瑞(北条早雲)の支援を得て武蔵立河原での決戦に勝利した。戦いは正午前後にに数時間行われ、山内上杉方は2000人余が討死したとされる。

山内上杉顕定、越後からの援軍を得て河越城を攻める
武蔵立河原の戦いの敗戦後、鉢形城に退いた山内上杉顕定は、弟の越後守護・上杉房能に援軍を依頼。派遣された越後守護代・長尾能景と共に、扇谷上杉朝良の武蔵河越城を攻めた。城方は良く防戦したが、死傷者多数を出している。

山内上杉顕定、扇谷上杉方の武蔵椚田城を攻略する
山内上杉顕定と、越後から派遣された長尾能景の軍勢は、扇谷上杉氏の臣・長井広直の守る武蔵椚田城を攻略。城主・長井広直は討死した。

山内上杉顕定、相模真田城を攻略し、上田上野守を討つ
武蔵椚田城を攻略した山内上杉顕定・長尾能景の連合軍は、扇谷上杉氏の臣・上田上野守の守る相模真田城(実田城)を攻略。城主・上田上野守は討死した。