1517年(永正14年)

政所執事・伊勢貞陸、管領・細川高国ら、伊達稙宗へ書状を送る
―京都◆
この日付で、室町幕府政所執事である伊勢貞陸、管領・細川高国、細川家臣である新開隆実、寺町通隆らから、それぞれ別途に奥州の伊達稙宗宛に書状が送られた。

伊勢氏(北条氏)・真里谷氏の軍勢、下総弥富周辺で千葉氏と戦う
―下総◆
伊勢宗瑞(北条早雲)が、真里谷信清(真里谷恕鑑)に加担し、古河公方足利氏に与する千葉氏・原氏と、下総弥富周辺で戦う。この戦いで弥富原氏の原朗久(原孫九郎)が戦死している。

大熊政秀ら、長尾為景のもとで段銭請取状に署判する
―越後◆
越後守護・上杉定実の公銭方であった大熊政秀、長授院妙寿、関沢顕義らが、定実失脚後も引き続き、守護代・長尾為景のもとで政務を行っており、段銭請取状に署判した。

真里谷武田氏・伊勢氏(北条氏)、三上氏の上総真名城を攻略する
―上総◆
真里谷信清(恕鑑)と伊勢宗瑞(北条早雲)の軍勢は、古河公方に与する上総真名城主の三上但馬守を攻め、真名城(三上城)を攻略した。この後両者の軍勢は、原氏の下総小弓城に向かったと思われる。

真里谷武田氏・伊勢氏(北条氏)の軍勢、原氏の下総小弓城を攻略する
―下総◆
2日前に上総真名城を攻略した真里谷信清(恕鑑)と伊勢宗瑞(北条早雲)の軍勢は、上総・下総国境付近へ進出。この日、原胤隆の拠る下総小弓城を攻略した。

毛利元就初陣、敵将・武田元繁を討つ
―安芸◆
安芸吉田郡山城主・毛利氏の一族の毛利元就が初陣。吉川元経の安芸有田城を攻めていた武田元繁と戦い、これを討ち取って初陣を飾った。

下総馬橋にて合戦があり、高城家臣の安蒜右京らが討死する
―下総◆
この日、高城氏の居城・下総小金城近くの馬橋にて合戦があり、高城家臣の畔蒜右京亮(安蒜右京亮)・戸部三郎左衛門(戸辺三郎左衛門)らが討死したという。詳細は未詳。

公卿補任: 永正14年
―京都◆
甘露寺元長、花山院兼雄、大炊御門経名、飛鳥井雅俊、近衛稙家、徳大寺公胤、中御門宣秀、久我通言、今出川季孝、三条公頼