1518年(永正15年)

伊勢宗瑞、相模当麻宿に制札を出す
―相模◆
伊勢宗瑞(北条早雲)が相模当間宿(当麻宿)に制札を出した。

扇谷上杉朝良(上杉建芳)が没する
―武蔵◆
かつて山内上杉氏と関東管領の座を争い戦った扇谷上杉朝良(上杉建芳)が没した。

足利義明、真里谷武田氏の招聘を受けて下総下河辺庄から上総へ移る
―上総◆
古河公方・足利高基と抗争を続ける足利義明は、この頃に上総の真里谷信清(真里谷恕鑑)、真里谷信保父子の招聘を受け、下総下河辺庄高柳から、上総国内に移った。

伊勢氏綱(北条氏綱)、虎の印判を初めて使用する
―伊豆◆
この年に伊勢宗瑞(北条早雲)から伊勢氏の家督を継承したと見られる伊勢氏綱(北条氏綱)が、伊豆田方郡長浜・木負の百姓中並びに代官山角・伊東両氏に宛てて、初めて虎の印判を使用した印判状を発給した。

伊勢氏綱「調」の朱印の使用を始める
―相模◆
伊勢氏綱(北条氏綱)が「調」の朱印の使用を開始した。同月8日に使用を開始した「虎之御印判」と共に北条氏歴代当主の印として使用される事となる。

公卿補任: 永正15年
―京都◆
三条西公条、鷲尾隆康、五条為学、飛鳥井雅俊、花山院忠輔、鷹司兼輔、二条尹房、四辻公音、上冷泉為和、一条房家、花山院政長、三条実香、大炊御門経名、中御門宣秀、広橋守光、下冷泉為孝、正親町実胤、河鰭実治、今出川公彦、世尊寺行季、甘露寺伊長、高辻章長、松殿忠顕、正親町三条公兄