1528年(大永8年/享禄元年)

関東管領家宰・長尾憲長、越後の長尾為景に対して、足利晴氏の元服に際しての為景の周旋に礼状を出す
―上野◆
関東管領・上杉憲寛の家宰である長尾憲長(足利長尾氏)は、古河公方家の足利晴氏元服に京都の将軍・足利義晴からの偏諱を請う際、長尾為景が周旋した事に対する礼状を発した。

将軍・足利義晴、越後の長尾道一丸に偏諱を与え、長尾晴景と名乗らしむ
―近江◆
近江朽木谷にあった足利義晴は、越後の長尾為景の要請を受けて、為景の子・道一丸に対して偏諱を与えた。これにより道一丸は長尾晴景を名乗ることとなる。

足利高基の子・亀若丸が元服し、足利晴氏を名乗る
―下総◆
古河公方・足利高基の嫡男・亀若丸が元服。将軍・足利義晴の偏諱を受けて、足利晴氏を名乗った。