1533年(天文2年)

北条氏綱、鶴岡八幡宮造営の勧進のため、上野へ使者を派遣する
―関東◆
北条氏綱は鎌倉鶴岡八幡宮造営の勧進のため、神主・大伴時信(大伴山城守)と伊豆山神社の我観坊らを使者として上野から北武蔵一帯へ派遣した。

北条氏綱、鶴岡八幡宮造営の仮殿事始めを行う
―相模◆
北条氏綱は鶴岡八幡宮造営のための、仮殿建築に着手。仮殿事始めが「番匠小屋入数十人」をもって催された。この後5月29日には仮殿の上棟式が行われている。

原胤隆、下総真間弘法寺に寺領安堵状を出す
―下総◆
下総千葉氏の筆頭重臣・原胤隆が、下総八幡庄の真間弘法寺に対して寺領安堵状を発給する。

里見義豊の家臣ら、安房稲村城に里見実堯を討つ
―安房◆
安房の里見義豊の家臣らが、義豊の叔父で里見家の実権を握る里見実堯を稲村城に襲い生害に追い込んだ。実堯享年50という。

里見義豊、正木氏の地盤である安房佐久間郷へ侵攻する
―安房◆
叔父・里見実堯を討った里見義豊は、実堯の重臣である正木氏の地盤・安房佐久間郷へ侵攻。妙本寺要害を攻略し、妙本寺に禁制を下した。

里見義堯、北条氏の支援を受けて安房妙本寺要害を攻略する
―安房◆
里見義豊によって父・里見実堯を討たれた里見義堯は、同じく父を討たれた正木時茂、正木時忠兄弟と呼応。北条氏綱の支援を仰ぎ、その援軍を得て里見義豊に奪われた安房佐久間郷の妙本寺要害を攻略した。