1538年(天文7年)

北条氏綱、扇谷上杉方の武蔵葛西城を攻略する
―武蔵◆
北条氏綱が扇谷上杉家臣・大石氏の守る武蔵葛西城を攻略した。

北条氏綱、武蔵岩付城を攻撃し城下を焼く
―武蔵◆
北条氏綱が、扇谷上杉方の太田資正の武蔵岩付城へ攻め寄せ、城の「近辺悉放火」して帰陣した。

小弓公方・足利義明、下総国府台城に逸見祥仙の部隊を進駐させる
―下総◆
小弓公方・足利義明は、北条氏の武蔵東部への勢力拡大に備え、下総国府台城に近臣の逸見祥仙(逸見山城入道)の部隊を進出させた。

小弓公方家臣・逸見祥仙、下総真間弘法寺に寺領安堵の下知状を与える
―下総◆
下総国府台城に駐留中の小弓公方・足利義明の臣・逸見祥仙は、義明の命により真間弘法寺に対して寺領安堵の下知状を与えた。

第一次国府台合戦――北条氏綱と小弓公方足利義明・里見義堯が下総国府台で戦い、足利義明戦死す
―下総◆
下総国府台で北条氏綱率いる北条軍と、小弓公方・足利義明、里見義堯、真里谷信応の連合軍が戦い、北条軍が勝利した。

北条氏綱、国府台合戦の首実検を行う
―下総◆
国府台合戦の戦勝の翌日、北条氏綱は下総国府台城に入り首実検を行い、足利義明・足利義純父子の首を古河の足利晴氏のもとへ送った。

北条氏綱、小弓城に原氏を復帰させ、真里谷氏の家督に真里谷信隆を据える
―上総◆
国府台合戦の勝利により小弓公方・足利義明を滅亡させた北条氏綱は、上総中島まで進出。下総小弓城に旧城主の原胤清を復帰させ、真里谷氏の家督には真里谷信隆を据えた。

古河公方・足利晴氏、国府台合戦の戦功を賞し北条氏綱を関東管領に補任する
―下総◆
国府台合戦での北条軍の勝利と小弓公方の滅亡を受け、古河公方・足利晴氏は合戦で活躍した伊東右馬允、徳陰斎(渋江弾正左衛門尉)に感状を与えると共に、北条氏綱に御内書を与えて関東管領職に補任した。