1553年(天文22年)

武田晴信長女と北条氏康長男との婚約が成立する
―相模◆
甲相駿同盟の一環として、武田晴信(武田信玄)の長女・黄梅院と、北条氏康の長男・北条氏政の婚約が成立した。実際の輿入れは翌年12月に行われている。

北条綱成、西上総・安房国境付近に侵攻する
―安房◆
北条綱成(北条左衛門大夫)は、西上総・安房国境付近へ渡海して軍勢を進め、安房妙本寺に「渡海之軍勢甲乙人等、致乱妨狼藉事」を停止する制札を下した。

長尾景虎、上洛して後奈良天皇に拝謁する
―京都◆
長尾景虎(後の上杉謙信)は、前年の従五位下・弾正少弼への叙位任官に対する謝礼のために上洛。後奈良天皇から「住国并隣国」の敵を討つべしとの綸旨を賜った。

北条氏康、西上総・安房国境付近に侵攻し、安房国内の叛徒と通じる
―安房◆
北条綱成に続き、北条氏康も西上総・安房国境付近に渡り軍を進め、安房妙本寺に制札を下した。北条氏の房総進出によって、里見領内ではこれに呼応した叛乱が起き、しばらく内乱状態となった。

里見氏領内の叛乱軍、安房金谷城を焼き討ちす
―安房◆
先月より続いている里見氏領国の安房に於ける叛乱により、この日夜に金谷城が焼き討ちされた。同城に避難していた安房妙本寺の日我は一命を取り留めたが、城に運び込んでいた妙本寺伝来の寺宝や書物などが悉く焼かれたという。