1555年(天文24年/弘治元年)
・・・下総◆ 正木時茂・時忠兄弟、下総香取郡方面へ侵攻し千葉氏らと戦う
・・・下総◆ 原胤貞、中山法華経寺に寺家の沙汰権を安堵する
・・・安房◆ 北条氏堯、安房妙本寺へ制札を発給する
・・・下総◆ 正木時茂、下総千葉へ進出して放火する
・・・下総◆ 牛尾胤直、父・原胤清の証人として、千葉親胤に出仕する
・・・陸奥◆ 北条氏康、白河結城晴綱に書状を送り「房州金谷之地」攻略などを伝える
・・・相模◆ 足利梅千代王丸、将軍・足利義輝の一字を賜り元服して義氏を名乗る
・・・相模◆ 泉中務大輔ら、「葛西様」足利義氏に太刀などを献上する
・・・下総◆ 千葉親胤、千葉妙見宮で元服する
・・・丹波◆ 丹波守護代・内藤氏と赤井氏が戦う

北条氏が久留里城を攻め、吉原玄蕃助が東上総を脅かす
―上総◆
北条綱成の軍が里見義堯の上総久留里城へ侵攻。これに応じた上総峯上城の吉原玄蕃助が東上総の長狭庄へ攻め入り、久留里城の背後を脅かした。

正木時茂・時忠兄弟、下総香取郡方面へ侵攻し千葉氏らと戦う
―下総◆
この頃、里見氏麾下の正木時茂・正木時忠兄弟は、下総香取郡へ侵攻。千葉氏や木内氏と戦うという。

原胤貞、中山法華経寺に寺家の沙汰権を安堵する
―下総◆
下総千葉氏の臣・原胤貞が、下総中山法華経寺に対して、同寺の「千田・北条両庄内、御門徒・御出家」への寺家の沙汰権を安堵する。この頃には原胤貞は、父の原胤清から家督を譲られ、小弓城・臼井城の両城主となっていたと思われる。

北条氏堯、安房妙本寺へ制札を発給する
―安房◆
北条氏堯(北条氏康の弟)が、安房妙本寺へ制札を発給した。

正木時茂、下総千葉へ進出して放火する
―下総◆
下総へ侵攻中の里見氏麾下の正木時茂は、西上総の北条氏牽制のために下総千葉へ侵攻。あたりを放火するという。

牛尾胤直、父・原胤清の証人として、千葉親胤に出仕する
―下総◆
千葉氏の筆頭重臣・原胤清が、主君・千葉親胤の疑念を払うための証人(人質)として、次男である牛尾胤直を佐倉城(本佐倉城)に出仕させた。

北条氏康、白河結城晴綱に書状を送り「房州金谷之地」攻略などを伝える
―陸奥◆
北条氏康は、陸奥白河城の白河結城晴綱に書状を送り、去秋に「房州金谷之地」を攻略した事を伝え、また「黒之馬」を贈られた礼を述べた。また白河結城氏の佐竹氏に対しての軍事行動に協力する旨を約束している。

足利梅千代王丸、将軍・足利義輝の一字を賜り元服して義氏を名乗る
―相模◆
鎌倉葛西ヶ谷にあった足利梅千代王丸は、将軍・足利義輝から「義」の字を賜り、元服して足利義氏と名乗った。在所である葛西ヶ谷から「葛西様」と尊称されたという。

泉中務大輔ら、「葛西様」足利義氏に太刀などを献上する
―相模◆
「葛西様」足利梅千代王丸(足利義氏)の元服に際して、上野新田の泉中務大輔、下総千田の千葉又太郎、結城晴朝(結城七郎)らが祝儀として太刀・青銅(銭)・馬などを進上した。

千葉親胤、千葉妙見宮で元服する
―下総◆
千葉親胤が千葉妙見宮で元服の儀式を行った。当初は同年11月に予定されていたが、正木時茂の千葉乱入・放火によって延期されていた。