1556年(弘治2年)

那須資胤・資晴父子、足利義氏に誓詞血判をもって忠誠を約す
―相模◆
下野那須の那須修理大夫(那須資胤)・那須弥太郎(那須資晴)父子は、「葛西様」足利義氏に誓詞血判をもって忠誠を約して赦免された。

千葉氏筆頭重臣の原胤清没す
―下総◆
下総千葉氏の筆頭重臣の原胤清が没した。胤清は小弓公方・足利義明の滅亡後、小弓城主に復帰。この前年の天文24年(1555年)頃までには、家督と小弓城主の地位を子・原胤貞に譲って隠居していた。

里見義弘・正木時忠ら、渡海して相模三浦を攻める
―相模◆
里見義弘が正木時忠ら房総の水軍をもって北条方の相模三浦を攻めた。これを契機として、西上総の戦況は里見氏有利となったという。