1560年(永禄3年)

北条氏政、飢饉対策の徳政法度を布告する
―関東◆
家督を相続して間もない北条氏政は、徳政法度を布告。北条氏領国内の妻子・下人の証文破棄を認め、借銭・借米・諸蔵質物等の元本・利子の破棄などを決定した。

吉川元春、将軍・足利義輝より駿河守の受領名を授かる
―京都◆
安芸の毛利氏一門・吉川元春が、将軍・足利義輝から駿河守の受領名を与えられた。

前古河公方・足利晴氏、下総栗橋で没す
―下総◆
前古河公方の足利晴氏が、抑留先の下総栗橋で没した。

北条氏政、代物法度を改定する
―関東◆
北条氏政は、1559年(永禄2年)に制定された「代物法度」を改定。撰銭を停止して精銭と地悪銭の混合比率を規定し、諸年貢のほか商売にも適用させ、民の苦労を取り除いたという。

北条氏政、夏の棟別銭の隔年納入を、毎年半分ずつ納入に改める
―関東◆
北条氏政は夏麦の収穫期に徴収されていた棟別銭(正木四十銭棟別)の隔年納入を止め、毎年半分ずつ納める方式に改めた。

直江兼続、越後国で生まれる
―越後◆
この年、直江兼続(樋口兼続)が、越後魚沼郡上田庄で生まれた。幼名与六。父は長尾政景の家臣・樋口兼豊(樋口惣右衛門)。