1569年(永禄12年)

本圀寺事件――三好三人衆、京都本圀寺に足利義昭を攻める
―京都◆
詳細後日

大川長秀、出羽庄内方面の戦況を春日山に報じる
―越後◆
出羽庄内の大宝寺武藤氏との抗争に従事していた越後北部の国人・大川長秀は、春日山の上杉輝虎に対して戦況を報告した。

上杉輝虎、里見義弘に越相同盟の交渉開始を報告する
―越後◆
越後の上杉輝虎は、前年末より開始された北条氏との講和(越相同盟)交渉開始に伴い、長年に渡って北条氏と抗争して来た房総の里見義弘に対して、これに応ずるか否かの打診を行った。

下総小弓・臼井両城主の原胤貞没する
―下総◆
下総千葉氏の重臣で、北条氏の他国衆としても活躍した、下総小弓城・臼井城の両城主の原胤貞が没した。原氏は子・原胤栄が継いでいる。

大河内城夜攻め、織田方将兵戦死者多数
―伊勢◆
織田信長が北畠具教の拠る伊勢大河内城に夜襲をかけ、織田方の将兵が多数戦死した。

本願寺顕如、幕臣・明智光秀に弁明の書状を送る
―京都◆
本願寺法主・顕如は、幕臣である明智光秀に対し、本願寺が三好氏に一切加担していない旨の弁明と、将軍・足利義昭への取り成しを願う書状を送った。