1571年(元亀2年)
・・・近江◆ 近江佐和山城開城し、丹羽長秀が入城する
・・・下総◆ 下総千葉氏の臣・設楽利継没す
・・・下総◆ 千葉家臣・牛尾胤直没す
・・・下総◆ 原胤栄、妙見宮禰宜・左衛門大夫に太夫司之事を安堵する
・・・京都◆ 織田信長、幕臣の上野秀政・明智光秀に農民の押妨停止を命じる
・・・摂津◆ 足利義昭、三好為三に兄・三好政勝の跡職を安堵する
・・・下総◆ 北条氏政、千葉氏・原氏を支援するため、軍勢を下総へ派遣する
・・・近江◆ 織田信長、比叡山を焼き討ちする
・・・近江◆ 織田家臣・明智光秀、廬山寺領・三門跡領を押領する
・・・相模◆ 小田原北条氏三代・北条氏康没する
・・・下総◆ 里見氏、下総小弓城を占拠する
・・・下総◆ 千葉邦胤、佐倉妙見宮で元服する
・・・近江◆ 織田家臣・青地千世寿、佐久間信盛の与力として付属される
・・・京都◆ 明智光秀、将軍近臣の曽我助乗に感謝の意を伝え、致仕の意向を固める

吉田兼和、近江志賀城に明智光秀を見舞う
―近江◆
吉田兼和はこの日、近江志賀城(近江宇佐山城)に明智光秀を見舞った。前年の落城後、光秀が守将となっていたと思われる。

近江佐和山城開城し、丹羽長秀が入城する
―近江◆
詳細後日

下総千葉氏の臣・設楽利継没す
―下総◆
下総千葉氏の臣で奏者を務めた設楽利継(設楽出雲守)が没した。設楽氏は上総山辺郡山口郷を本貫地とする在地領主で、千葉家当主側近として佐倉に居住していた。

千葉家臣・牛尾胤直没す
―下総◆
千葉氏の重臣・原胤清の子で、牛尾氏を称していた牛尾胤直が没した。胤直は父・胤清の千葉親胤に対する証人(人質)として、佐倉城(本佐倉城)に出仕していた。

原胤栄、妙見宮禰宜・左衛門大夫に太夫司之事を安堵する
―下総◆
下総小弓城・臼井城両城主の原胤栄が、千葉妙見宮の禰宜・左衛門大夫に対し、先代と同様に「太夫司之事」を安堵している。

織田信長、幕臣の上野秀政・明智光秀に農民の押妨停止を命じる
―京都◆
織田信長は幕臣の上野秀政・明智光秀に対し、山城大住荘の農民の押妨停止を命じている。

足利義昭、三好為三に兄・三好政勝の跡職を安堵する
―摂津◆
将軍・足利義昭は、三好為三(三好一任斎)に対して兄・三好政勝(三好宗渭)の跡職を認める安堵状を発給した。副状は明智光秀が出している。

北条氏政、千葉氏・原氏を支援するため、軍勢を下総へ派遣する
―下総◆
里見氏の下総進出に対抗するため、北条氏政は千葉氏・原氏を支援。軍勢を下総小弓城周辺に在陣させる。また小弓城下の浜村の本行寺に対し、「当手軍勢甲乙人等、濫妨狼藉」を堅く停止する虎印判状を発給した。

織田信長、比叡山を焼き討ちする
―近江◆
詳細後日

織田家臣・明智光秀、廬山寺領・三門跡領を押領する
―近江◆
織田家臣の明智光秀は、比叡山社領没収後の知行宛行に従い、この月に廬山寺領を、翌月に三門跡領を山門領として押領した。